仏教入門97(日本史編)藤原俊成 - 仏教入門-非常識な10の質問を世界の天才100人に!

仏教入門-非常識な10の質問を世界の天才100人に! ホーム » スポンサー広告 » 日本史 » 仏教入門97(日本史編)藤原俊成

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

仏教入門97(日本史編)藤原俊成

仏教入門

仏教入門(日本史編)


仏教と聞くと、そうしき?と思う人が多いですが、

じつはお釈迦様は、一度も葬式をされませんでした。

ではお釈迦様は一体何を教えられたのでしょうか。

仏教の深い内容は人類の到達した最高の思想といわれ、

世界中の有名人・偉人達からほめたたえられています。

このブログでは、仏教の入門としてもいいように、

そんな仏教をほめたたえる言葉を集めてみました。


■その97 千載和歌集編纂 藤原俊成



 平安後期から鎌倉初期に活躍した歌人、藤原俊成(ふじわらのと

 しなり 1114~1204)は、道長のひ孫にして、関白九条兼実から

 庇護を受けました。また、後白河院の命により『千載和歌集』の

 編纂を行っています。教育者としても定評があり、九条家の歌の

 指導のほか、実子である藤原定家をはじめ、養子寂蓮、藤原家隆

 等「新古今和歌集」の選者6名のうち3名を指導。平清盛の弟、

 一ノ谷の合戦の指揮官である平忠度(ただのり)にも教えていました。


 そのエピソードは、平家物語に涙と共に語られます。

 藤原俊成 仏教入門
 源平合戦図屏風(Wikipedia)

 武勇、和歌の才、共に優れていた平忠度は、平氏一門都落ちの際、

 都へ引き返し、昔、歌を習っていた藤原俊成の邸を訪れました。びっ

 くりして動揺する家人達に「門は開けずとも、せめてこの近くま

 で…」と懇願。藤原俊成は、その人ならさしつかえないと、入れさせ

 ます。喜んだ平忠度は「平家の命運も、今は尽きてしまいました。

 ですが、先生は勅撰集の編纂をされるとお聞きします。私達が死

 に、やがて平和な世になりましたあかつきには、どうか私の歌も

 一首入れてもらえないものかと思いまして…」と最後の願いを伝

 えると、風のように西方へ走り去ってゆきます。


 やがて、一ノ谷の合戦に、平忠度は大将軍として出陣。部下が逃げ

 まどう大混戦の中、一歩も引かずに一騎打ちに臨みます。武勇に

 優れた平忠度は、はじめは優勢でしたが、後ろから相手の子供に右

 腕を落とされます。どうすることもできなくなった平忠度は、今は

 これまでと無念の涙を飲んで「しばしのけ、十念となえん」

 (念仏を称えるからしばらくどいておれ)と念仏を称え、討ちと

 られてゆきました。懐から見つかった和歌によって平忠度とわかり、

 敵、味方共に平忠度の死を惜しんだと言われます。


 ところが勅撰和歌集に、逆賊となった平家の歌は、本来入れるこ

 とはできません。忠度の気持ちを尊重した藤原俊成は、「よみ人知ら

 ず」として『千載集』にひっそりと載せたと言われます。
 

 時は、戦乱の続く末法の世。往生要集をあらわした源信僧都が、

 いつの時代、どんな人でも救われる、他力易行の浄土仏教を伝

 え、貴族、武士、庶民をとわず、爆発的に広まった時代でした。

 藤原俊成自身も、千載和歌集に次のような歌を詠んでいます。



 いまぞこれ入り日を見ても思ひこし弥陀の御国の夕暮れの空

                (藤原俊成・千載和歌集




 では、その仏教には何が教えられているのか。
 
 以下のサイトにまとめてあります。
 
 仏教に学ぶ生きる意味
スポンサーサイト
コメント
非公開コメント

トラックバック

http://lifemeaning.blog126.fc2.com/tb.php/103-cc6b3095

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。